呪われた海岸、オサガメはどこへ行く

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1月のインドネシア調査で、3年ぶりにウェルモン海岸に入った。この経緯については、昔も書いたけど、改めて振り返ろう。2011年2月10日、海岸に写真のような「パラン」が立てられた。パランと言うのは、パフアの全民族でみられる立ち入り禁止の意思表示である。土地の所有者が立て、許可なく侵入した者に対する威嚇である。昔からの慣習で、これを無視して立ち入って殺されても文句は言えない。写真の看板には、「注意:ウミガメの管理者及び職員へ。通達、このパランを誰か抜く勇気があるか。我々はこれに終止符を打つ用意がある。」と、書いてある。
ウェルモン海岸は6kmほどの海岸で、北西側にウェルモン川という大きな川がある。南東に5kmほどにあるワウ村の5名の住民が、この海岸を分割して所有している。上記のパランを立てたのは彼らではない。ワウ村の住民はアブン族であり、パプアの中でもあまり権力のなく、かつてビアク族に支配されていた民族である。アブン族はかつてカロン族と呼ばれており、その意味はビアク語で「臭い人」という意味である。同じビアク族系の一派にスルイ族という民族がいる。彼らはいまだにカロン族という言葉で彼らを呼んでいる。そのスルイ族のウェリモンという一組の家族がウェルモン川の北側に住んでおり、彼らが突然、このパランを立てた。彼ら主張は、ウェリモンという名前が示す通り、この海岸は自分たちのものだと主張したのである。しかし、この海岸のかつての名前は、ビアク語であったワルモンである。ビアク語はWで始まる単語が多い。この付近の地名だけでもWarmandi, Warmamedi, Wau, Weyaf, Waibem, Wayos, Weweなどがあり、非常に紛らわしい。ちなみに、ビアク族の影響が少ないところは、Sで始まる地名が多い。
僕らはワウ村で状況を聞き、ウェリモン一家と話し合った。そしてその時に限り、調査をすることができたのである。その後、ウェルモン川をわたり、監視小屋に泊まりながら調査を行った。僕らが帰った後、ワウ村の所有者とウェリモン一家との間で、暴力沙汰が発生し、ワウ村の人たちも、3年間、海岸に一切立ち入ることができなくなった。ウェリモン一家は、まるでやくざのように、村の人々を殴りまくり、暴力で村を支配しようとした。唯一、海岸に入れたのは、ウェリモン一家の娘を嫁にもらっていたエルナの監視員だけであった。偶然とは恐ろしいもので、エルナだけが3年間の間、産卵数のモニタリングができたのである。当初、1年半くらいパプア大もウェリモン一家にお金を払って海岸で調査を行っていたが、問題が大きくなり、地方政府や軍隊が介入したことにより、それもできなくなった。結局、2012年10月になってウェリモン一家は、軍隊により強制立ち退きさせられた。
僕らは、今年2月9日、まさにちょうど3年目にして今回海岸に入ることができた。僕の心は、さわやかであった。やっと再びこの海岸に立つことができた。これから、オサガメだけを見つめていける。そんな心地よい気持ちが押し寄せてきた。毎回ワウ村まで足を延ばし、海岸を横目で見ていただけの期間が3年も続いたのである。
昼間は、産卵状況調査やふ化率調査を行い、夜は産卵に上がってきたオサガメに標識を装着した。上弦の月は、早く沈み、海岸は漆黒の闇である。星明りでかろうじてオサガメの足跡が確認できる。夜海岸を歩くときは、僕らは懐中電灯を決して点けない。そのことがまた恐怖を生み出すのである。僕は一人離れて海岸を歩いていると、見慣れない足跡がついている。が、すぐにやばいと思った。体長4mほどのイリエワニの足跡だった。心臓はドキドキ、冷汗は出てくる。蒸し暑いはずの海岸が涼しくなる。だけど、不思議なものでオサガメが産卵して標識を装着していると、その恐怖が跡形もなく消えていく。
この海岸は僕らしかいないはずであった。ところが、夜、人が歩いている。昼間の調査で、卵が盗掘された跡があり、ある程度予測はしていたが、実際に夜中に人に会うと異様な雰囲気になる。話をすると、ワウ村の海岸所有者の誰々から許可をもらって1か月前から8人で、シカ猟に来ているという。ワウ村に戻ってから、その所有者本人から話を聞くと、寝耳に水で、全く知らないというし、村人も海岸に人がいるとはだれ一人知らなかったのである。所有者の名前を知っていることから、どうも彼らはウェリモン一家の一味のようだ。また、僕からオサガメは遠ざかっていくのだろうか。

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