どうして僕はカメをやっているのか

Pocket

ウミガメは、熱帯地方に生息していて、食用になっている。沖縄でウミガメの養殖をやっているらしい。それを聞いたのは大学4年生の時だった。そう、あれからすでに40年近くたってしまっている。仲間が5人いて、みんなでウミガメ肉を販売して、金儲けをしようとしていたのである。その一方で、当時の世界は飢えで苦しむ人たちが、熱帯地方を中心に人口の3分の1ほどいると言われていて、僕らはその人たちを救うことに燃えていたのである。儲けた金で地球上の飢えで死ぬ人をなくそうという高尚な理想に燃えていたのである。一人は、ウミガメの飼育をするのに必要だろうということで製薬会社へ、一人は肉の保存が必要なので冷凍冷蔵会社に、一人は海外情報を収集しにチリへ(なぜだかよくわからないけど)、一人は待機組として一般企業へ、一人は出資者として趣味の釣具店へ、そして僕は鉄砲玉として現場へということになった。ある日、新聞に小笠原でウミガメ養殖をやろうとしているとでていた。それを見て、次の父島丸に飛び乗り、小笠原に向かったのである。当時は、小笠原まで39時間もかかった。小笠原では、東京都の水産センターが当時ウミガメの人工ふ化放流をやっていた。直談判で水産センターの研修生として受け入れてもらえることになった。翌年には待機していた一人も呼んで、小笠原で一緒にウミガメの人工ふ化放流、平たく言えばお産婆さんをやっていたのである。彼は、電話した翌日に会社を辞め、次の船で小笠原にやってきた。小笠原に行って数年間は、小笠原の周りにはたくさんのカメがいて、採り放題で大儲けだと思っていた。しかし、産婆さんをやっているうちに1頭のカメが4回も5回も1シーズンで産卵することを知り、父島列島周りの産卵数が100巣ほどしかなく、その事実に愕然としたのである。つまり、小笠原の周りで産卵している雌ガメはほんの数十頭しかいないという現実を突き付けられたのである。また、養殖のためには稚ガメを10年以上も飼育しなければならないこと、普段カメは小笠原の周りにいないことなど、僕らの目的を達成する条件はどんどん悪くなるばかりである。それでも、「アオウミガメ養殖プロジェクトチーム」なるものを結成したが、もちろんその中身は何もない。まあ、とりあえずウミガメを増やすしかないじゃん。そして40年後の僕がここにいる。

関連記事

  1. ウミガメは7種いる
  2. 僕らが増やしたわけではない①
  3. 僕にウミガメを教えてくれた倉田さん
  4. 情熱は歪み、理解されないのかもしれない
  5. オサガメ産卵地までの7日間と電気柵
  6. 小さな出来事、しかし大きな飛躍
  7. 現場の限界
  8. 学生の力
PAGE TOP