ある優秀な現地監視スタッフのお話し

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こんにちは、横浜スタッフの井ノ口です。
今日は長年いっしょに働いてきた大事な現地スタッフの一人、ジェフリーを紹介したいと思います。
インドネシアのタイマイ保全活動地の一つであるキマール島で、盗掘者からタイマイの卵を保護や監視しというたいへん根気のいる仕事で貢献してくれた人です。

キマール島は近年、ELNAの2大活動地を追い越す勢いで産卵が増えていて、文句なしに絶好調なセガマ島に続く素晴らしい保全活動地にのし上がってきました。そんなキマール島、実は4年前はたった16匹の赤ちゃんしか生み出せないほどのヒドイ状況だったのです。それを変えてくれたのが、彼なんです。

彼が監視員として働き始めてから、現場の状況がグッと好転しました。
下グラフは、保護した卵から産まれてきた赤ちゃんガメの数です(緑&黄緑色の棒グラフ)。彼が働きだした2015年から急激に保護実績が良くなっているのが分かります。
もちろん産卵の数が増えたから(灰色線)ということもありますが、ふ化率も年々上がってきました。



2015年10月、
彼に初めて会いました。
実はこの時、彼の前に半年ほど働いてくれていたスタッフがこれまた良く働くスタッフだったのですが、急遽辞めてしまったと聞かされたあとで、私はショック大き過ぎて元気が無くなってしまい、ジェフリ―とあまり話さなかったことを覚えています。「また活動が悪くなってしまう…」ただただ、そういう想いでいました。

次に訪問した2016年2月、

今まで年々トカゲ被害が深刻化していましたが、ジェフリ―に変わって半年が経過して、卵が割と残るようになっていました。しかもふ化後の巣には目印をつけて、すぐに場所が分かるような工夫までされていたのです!これは今までのスタッフでは考えられなかったことで、「インドネシアでこんな奇跡があるのか!?」と、嬉しい衝撃を受けたことを覚えています。

次に訪問した2016年5月は、
カウンターパートの現地NGO団体であるYPLIの代表であるGunawan氏が、初の活動地訪問の時でした。
夜の産卵調査には立ち会わなくても良かったのに、昼もガッツリ働いて、夜の仕事も自主的に手伝ってくれました。

 

 

この時は、キマール島での調査が終わった後も「次の島での調査も手伝いたい」というので、イレギュラー的に同行してもらう事にしました。

次の島では10人ほど調査補助員がいましたが、誰よりも彼が一番積極的に調査に同行し早朝から夜間まで頑張ってくれました。

私が出会ってきたインドネシア人は基本的に働かない人が多いです(いい加減)。『日系企業で雇用しているインドネシア人は、よく働くよ』という話も聞きますが、そういう人はおそらくそれなりの給料をもらっている方なのだと思います。私たちELNAが雇用している人達は地方の小さい島に住む人達で、学校に行ったことがない人もいます。そういった人達の中で、彼は自主性を持ってダントツによく働いてくれました。
カウンターパートのYPLIスタッフでさえ、調査開始時間になっても「先に洗濯をしなければ!」と言ってハンガーづくりから始めたりするのですが、ジェフリーはとっくに準備万端で調査道具をすでに準備し我々を待っていてくれるのです。
夜間もドミノ(トランプカードみたいなもの)で盛り上がるYPLIスタッフは「産卵パトロールの時間だよ」と声をかけても「今じゃないとダメ?!後でも良い?」と返答してきたりするのですが、ジェフリ―だけは声をかけなくても無言でついて来て手伝ってくれました。
この時、彼と二人で産卵海岸を歩きながら「キマール島が好き。今の仕事が好き」と話してくれたのを覚えています。
この頃から、私はジェフリ―がとても好きになりました。

2016年9月、

キマール島を訪問すると、彼は私の顔をみて「また会えたね!」と笑顔で嬉しそうに迎えてくれるようになりました。そして、また私の様子を伺いつつ、先手に出てもくもくと仕事を手伝ってくれるのでした。

ジェフリ―は口数が少なく真面目ですが、実はお茶目です。そんな様子が写真から伝わります。

こちらの写真は2017年2月。念願のトイレが完成した年。
「寄付してくれた人達への報告用に、喜んでいる写真を撮るよ~」と言って撮った写真。一番左側で、よく分からないポーズをしてくれてます。

こちらは、海岸掃除が終わって喜んでいる姿。

こちらは2018年3月。別れ際にカメラを向けた時の、お茶目なポーズ

最後に彼に会えたのは、つい最近の2018年11月。

10日間ほど島に滞在しました。調査せねばならない巣が沢山あって、本当は故郷の島でお祭りがあるから行きたいのに、家族総出で調査の手伝いをしてくれました。
今までは「調査に行くよ」と指示されてから動いていた彼らも、調査が全て終わるようにと、自主的に早朝6:30くらいからふ化後の卵を掘り出して手伝ってくれました。
「絶対無理!」「絶対終わらない!」と思っていた800巣を9日間でほぼ掘り終り、笑顔で島を後にすることができました。

島を離れる時も、また会おうね~って、何回も何回も手を振る私に応えて何回も何回も手を振り返してくれました。

日本に帰国してからしばらくたった11月27日の早朝、
彼が昨夜亡くなったと知らせを受けました。
「何かの間違いに違い無い!」「インドネシア語の翻訳ミスだ!」と思いましたが、辞書で確かめても、翌日になっても夢ではないようです。
死因は不明で、現地の人がいうには黒魔術で亡くなったのではいう事でした。

長々となってしまいましたが、彼は現在インドネシアで働いてくれているタイマイ現地スタッフの中で、1・2を争うくらいよく働いてくれたスタッフで、そんな人がいたことを少しでも多くの皆様に知って頂いて、彼の功績を少しでも多くの方に讃えて頂きたく、この記事を書きました。
キマール島での活動には、本当に色んな人達が関わってきたのですが、今とても順調な活動地に変貌したのは、彼の功績によるところが何よりも大きいと私は感じています。

これからインドネシアのタイマイの希望の星となる予定であったキマール島。
今年2018年は産卵の数が、過去最多を記録しました(11月までで835巣)。
今回、周辺の島も調査をし、卵は(20年ほど前から)相変わらず全て採られているのに(食用として高額で売買されるため)、産卵が増えていました。他地域の事例からも判断するに、キマール島から巣立ったカメがいるおかげで周辺も増えているのだと推測されました。キマール島での保護は、島内での保全にとどまらず周辺地域へも恩恵を与えているのを実感しました。

ジェフリ―が保護して海に帰った子ガメたちは、この3年間で134,403頭(+今、巣内でふ化している子ガメたち)。
彼が亡くなった影響は計り知れないけれど、彼が守り作り上げてくれたこの安泰なキマール島の保護状態を、これからも維持していきたいと強く思っています。