カメ屋にもすごいヤツがいる(No.34)

ブレア・ウィザリングトンという人がいる。かつて彼がフロリダ大学の大学院生の頃、アメリカ連邦政府から依頼されて、ウミガメと光の関係を研究した人だ。当時のウミガメを研究している学生で、年間研究費を300万円も政府からもらって研究した人はいない。異例中の異例であった。彼の研究により、光の周波数とウミガメの行動の関係が明らかになった。また、低圧ナトリウム灯(高速道路などのトンネルでオレンジ色に点灯しているライト)が稚ガメや親亀に与える影響が少ないことも研究し、報告している。それにより、小笠原の繁殖地では、海岸から道路の照明灯が見えるところでは、東京都に要請し、白色の高圧ナトリウム灯から低圧ナトリウム灯に変えてもらった。それにより、ウミガメの上陸やふ化稚ガメの入海に、影響が少なくなったのである。

しかし、僕が彼のことをすごいなと思ったのは、これではない。確かにこれもすごいけど、僕から見てすごかったのは、ふ化稚ガメを追跡したことである。アカウミガメの稚ガメには、VHFの発信器をつけて、一人は泳いで稚ガメの行動を観察しながら追跡する。もう一人は、VHFアンテナで稚ガメの方向を確認し、ゴムボートを操縦しながら泳いでいる人を追跡する。そして、遊泳とボートの運転を交代しながらただひたすらのんびりと追跡する。なにしろ、稚ガメの追跡といっても、時速2ノットもでないのである。しかし、泳いでいるときは、いつ鮫が襲ってくるかと思い、非常に怖かったと言っている。それを1週間続け、そしてたどり着くのである。英語でいう「シーグラス・ベッド」に、である。これを日本語にしてもつまらない。「海藻ベッド」とか「海藻布団」とか言ってもピンと来ないのである。潮目の流れ藻を発見したときの感激を忘れられないと言っている。自分たちが追ってきた稚ガメ以外にも、天然の同じ様な大きさの稚ガメたちが数頭シーグラス・ベッドの上で休んでいるのをみつけた。

単純なことをやり遂げていく実行力に、僕は感激してしまう。彼のこの何でもない簡単明瞭な「稚ガメはどこに行くか」という疲労と恐怖だけの調査により、ウミガメの世界は大きく変わっていくのである。それまでは、稚ガメは魚や鳥に捕食されて、ほとんど生き残ることはないと言われていた。世界中のカメ屋もそれを信じていたのである。テレビ映像の世界にだまされていたのである。夜ふ化する稚ガメを、夜は飛べない鳥たちが捕食する。世界中にその映像はばらまかれた。そして、ブレアが鮫の恐怖と戦いながら稚ガメを追跡するまでは、その矛盾に誰も気が付かなかったのである。稚ガメを捕食する魚は確かに存在するし、確認もされている。鮫の胃袋から10頭以上の稚ガメが確認されたこともある。もう、20年以上も前になるけれど、小笠原で毎日のように決まった海岸で放流をしたことがあり、何日か経ったとき、海岸線から10mも行かないようなところでホワイトチップという鮫がたむろしだした。稚ガメたちが海に入ったとたん、鮫たちはバチャバチャと興奮して動き回っているのがすぐ近くに見える。さすがに、決まった場所での放流は中止した。ダツという細長い魚をさばいたら、稚ガメがでてきたと持ってきてくれた人もいた。しかし、このような例はあるけれども、捕食される稚ガメはそれほど多くないことが、いくつかの論文で言及されている。稚ガメたちにとっては、餌場であり、宿泊所である流れ藻をブレアが発見したことにより、稚ガメたちの生存は、流れ藻にたどり着けるかという確率の問題となったのである。これにより、稚ガメの脱出から流れ藻までの稚ガメの行動研究が盛んに行われるようになり、かなりの部分が解明されるようになった。

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稚ガメの脱出から順を追うと、海までの走光性、波に直角に泳ぐフレンジー(狂乱という意味)という行動、沖にでてから刷り込まれる磁場傾斜角度、潮の流れ(流されても頭は生まれでた海岸に対していつも直角方向に保っている)、そして物理的な潮のぶつかり合う潮目に到着する。地中で卵から顔を出して時点(本来のふ化)では卵黄の大きさが1cmほどあり、5日くらいかけて地表に出てくるとき(脱出)には、その卵黄は吸収されて、いわゆるへその部分はほぼ平らになっている。稚ガメは、その卵黄の栄養分で、海まで歩き、ただひたすらに波に直角に泳ぎ、沿岸部の弱い潮とは無関係に方向性を保って泳ぎ、そのうちにフレンジーはなくなり、沖合の潮の流れに身を任せ、必然的に流れ藻にたどり着く。しかし、問題は卵黄の栄養分である。この栄養分は、ふ化からだと15日分、脱出からだと10日ほどしかない。その10日の最初の2-3日はフレンジーで栄養分をふんだんに使う。つまり、栄養分を使い終わる前に流れ藻にたどり着かなければ、稚ガメは餓死をするしかないのである。ほんの数%の稚ガメしか流れ藻にたどり着けない。幸運な流れ藻にたどり着いた稚ガメは、それが大規模で安定していれば、その将来は明るい。外洋でのそのような生活を稚ガメたちは1年以上も過ごすのである。

放流会は、稚ガメの生存がかかっているこの確率を極端に低くする。脱出してから、1日でも人の手元で待機させることは、稚ガメが生き残る確率を大きく減らす。なぜなら、フレンジーの時間を短くするからである。つまり、沖にある潮の流れまでたどり着く確率を減らす。また、栄養分も10%減少する。3日もおくような場合は、これはまさしく犯罪である。稚ガメを根こそぎ殺すのと同じだ。でも、日本ではまだこのような放流会が、生命の尊さとか、子供たちの笑顔とか、厚顔的な保護理論や感情論を振りかざし、実施されている。潜在的な事実を覆い隠し、気づかない振りをして、放流会は実施されているのである。

ブレアは、最近障害物が与えるウミガメへの影響を研究している。常に次に来る問題点を認識し、それに向かって突き進んでいく。彼は、現在フロリダ州立の海洋研究所でウミガメ三昧の仕事をして楽しんでいる。(「カメ屋にもすごいヤツがいる」了)