ウミガメの仕事(No.35)

ウミガメの仕事って、なんなのだろうなぁ~と、考えてしまう。今年の春、日本ウミガメ協議会会長の亀崎さんと話したとき、僕らは何をしていけばいいのか、僕らはこれから何ができるのか、大阪で酒を飲みながら、こんな話をした。すでに、中年から老年になろうとしているおじさんたち二人が、ウミガメのことに30年以上も関わって、それを話題に酒を飲んでいる姿は絵にもならない。若いサラリーマンたちが、会社のことを少し分かってきて、居酒屋で会社や上司に対しての愚痴を酒の肴にしているようなものである。でも、亀崎さんと飲む酒はうまい。それは、ウミガメのことを話していると、目が輝くからである。きっと僕も目もそうなっていると思う。最終的には、僕らの仕事はいったい何だったのだろう、これから何ができるのか、話は自然とそうなっていく。

亀崎さんとは、「日本ウミガメ協議会」や「うみがめニュースレター編集委員会」を一緒に作ってきた。当初は、毎年開催している日本ウミガメ会議も、二人で県庁や市町村役所に行って交渉し開催してきた。標識を統一したり、測定方法を統一したり、標識やノギスを無料で日本各地の団体や個人に配布したりしてきた。日本のウミガメのあり方に多少なりとも貢献してきた自負はあるが、これから先のことが僕は全く見えない。きっとこういうことは、僕にはむかないのだろう。やはり、僕にとってウミガメとは、僕自身が海岸に自分の両足で立って、ウミガメを見続けていくことだと思う。

僕がウミガメに関わった当初は、何もわけが分からなかった。小笠原で産卵巣の卵を見つける技術だけに拘泥していた。今では当たり前になっているけど、ふ化寸前で死亡している胚を見て、まるで根拠のない感覚だけでふ化前2週間と勝手に思って発表したりしていた。ふ化場のふ化率や飼育する稚ガメの生残率が悪くても、それを改善したり、考えたりする努力が欠如していた。昼間はアルバイトで過ごし、夜は産卵場で酒を飲み、人生を語り、ただがむしゃらに動いていただけである。ウミガメ専門の職員になって初めて、ふ化率や生残率のことを考えるようになった。でも、ふ化率が30%代から80%まであげるのに8年も費やしている。稚ガメの生残率に至っては、かつて1000頭を飼育していても20頭以下しか残らなかったものが、生残率が90%になるのに10年以上かかっている。

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ELNAを2002年に設立し、インドネシアのウミガメの調査や保全事業、関東のストランディング調査を中心に行ってきたが、僕がいつも感じていることは、海岸を歩いているとき、漂着死亡したウミガメを剖検しているとき、常に仲間と一緒にいると意識である。海岸を歩いてその変化や産卵巣の様子を実感として身体に覚え込ませることや、漂着ガメを包丁を使って剖検する人と感覚を同調させ同じ目でそのカメを見ることなど、僕の経験してきたことや積み重ねてきたことを、論文などで裏付けを行い、若い人たちに意識を植え付けていくことしかできないけど、それが伝わりその人たちが前を向いて進む姿は、僕に安心感を与えてくれる。知識や能力が違っても、意識があれば、そこには信頼感が生まれ、それが形になっていく。きっと僕ができるウミガメの仕事というのは、こういうことなのだろう。ウミガメのライフサイクルに人は介入しないで、ウミガメを保護する。この考え方も、こうした中から生まれた。僕がウミガメと共に歩んで来た33年を振り返ると、ウミガメの状況が変わったのではなく、自分自身が大きく変わってきたことに気がつく。少し離れて脇からしかウミガメを見ていなかった僕が、気がつくと周りがウミガメだらけになっている。ウミガメの世界にどっぷりと浸かっている。僕にとってウミガメの世界というのは、多くの人たちの信頼や非難という網に絡まり、もがくことかもしれない。これじゃまるで混獲されたようなものである。きっともう後戻りはできないのであろう。僕がウミガメをやってきたことは、ウミガメにとって意味があったかどうか、自分自身では判断できない。多くの違った方向や道があったと思う。しかし、僕の経験や判断は、人に伝わっているという実感がある。僕にとってはそれが一番重要なのである。それが、僕にとってのウミガメの仕事なのであろう。(「ウミガメの仕事」了)