暑さ(No.23)

昨日(8月7日)、小笠原から戻ってきました。とにかく、暑かった。と、思ったら、横浜も暑かった。来週はインドネシア。早速今日、五反田のインドネシア大使館までビザを取りに行く。その道がまた暑い。でも、小笠原、横浜、インドネシアは暑さがそれぞれ違う。まさに、小笠原のアオウミガメとインドネシアのアオウミガメの顔が違うように、違うのである。

横浜はジメジメした暑さ、まさに寝苦しい暑さである。同じ寝苦しい暑さの小笠原は、カラッとした暑さである。太陽の暑さと歩道からの照り返しの暑さの違いを感じてしまうのである。じゃあ、インドネシアはどうかというと、これまた両者とは違う暑さである。 ムンムンとした暑さというのが表現的には近いかもしれない。ジャカルタの暑さはまさにこのムンムンである。パプアはパプアで、太陽のジンジンとした暑さがある。特にどれが暑いかと言われると困るけれど、肌がよく焼けるのはまさに小笠原の暑さである。毎日のように海に出ていることの多い小笠原ならではの事である。

今年の小笠原は例年になく暑かった。今年は小笠原で二人の方が熱中症でなくなっている。海岸を歩いているだけで、動けなくなる。卵を探す鉄筋棒の重さが時間と共に増していく。最後は放り投げたくなる。それでも卵を探していると、暑さで頭の中がボーッとなり、ふらふらして倒れそうになる。この感覚は、最初にパプアの海岸で、オサガメ産卵巣の食害状況を調査したときに経験したものと同じだった。前を歩いている人の輪郭がぼけていき、目の前にきらきらした結晶が飛び交い、やけに青い空と海岸の砂の照り返しの強烈なビームだけの世界になる。

小笠原のアオウミガメは、一昨年は1200巣を越える記録となったが、昨年は一挙に350巣に落ち込み、今年はどうなるかと自分自身の中では大きな賭けを課していた。この重圧と暑さの中でボランティアの人たちに手伝ってもらいながらの調査を行ってきたけど、気になるのはボランティアたちの徐々にトロンとなっていく眼であった。調査の前には帽子は持ったか、日焼け止めは塗ったかと聞き、調査中は30分おきに「水を飲め」を繰り返し、それでも年寄りの僕よりも早く朽ち果てていく。多分、年齢には関係なく、都下での生活しか知らない若者達と自然を経験している者との差であろう。都会では「自然は大好きだけど、蚊とか蜂とか刺す虫は嫌い。」、「自然の好きな人は優しい人。」ということが通用する。この言葉にきっと矛盾を感じることはないのであろう。最初に書いた暑さの違いもきっと感じることもないのであろう。

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蚊や毒虫のいない自然は地球上にはない。自然の中では「優しさ」だけでは決して生きていけない。都会の人が設計した公園は自然ではない。小笠原にある東京都支庁には土木課の中に自然公園課がある。なぜなのだろう。きっと東京都下には自然はないのであろう。でも、小笠原は東京都のはずなのに。これが都会の自然観であり、それが自然として通用しているということを、僕が認識しなければならないのだろうか。僕は地域の暑さの違いが分からなくなりたくないし、優しさだけで接していられる自然は必要がない。僕が見る限り、小笠原のウミガメたちは自然の中の生き物の一つである。天候に左右され、波に翻弄され、人に妨害され、ウミガメたちは彼らの現在の環境の中で、その本能だけで種を維持しようとしている。僕らは、彼らの環境の中では邪魔者でしかない。僕らができるのは彼らの環境の中に強引に入っていって、彼らの生存サイクルの中の一部を強引に操作し、彼らの種として維持できる部分を強引に補強してやることしかできないのである。これが正しいことかどうかは分からないが、少なくともこの部分に関しては自然ではないことは確かだ。しかし、ウミガメの環境はすでにこういう状況になってしまっていることを僕らは認識しなければならない。悲しいことに、このことを認識できない自然大好き人間たちが増殖しているような気がして仕方がない。

小笠原の父島の町に隣接した大村海岸と言うところがある。夜間、海岸を観光客が散歩しているが、その人たちは何人かのグループに分かれている。そのグループの単位が、カメの真新しい上陸跡と一致している。卵を産むための穴を掘っているカメたちを数メートル離れて静かに観察している。産卵を見ると、皆感激している。声も潜めて、ウミガメの産卵に感動しているのである。恐らく自分たちが小笠原に来て自分たちが自然を経験していることに感情が高まっているのであろう。でも、ほとんどの人が、産卵観察ができるように卵を照らしている僕に同じ事を質問してくる。「写真、撮ってもいいですか。」、僕の心の中は「?????」と、疑問符だらけになる。「ウミガメを守るって大変なんですね。」「ウミガメってすごいですね。」「産卵を見て感動しました。」「見ていたら、涙が出てきました。」こういうふうに感じている人々がなぜ、「写真を撮ってもいいですか。」という言葉を発するのであろうか。カメラのフラッシュをたくことはウミガメの産卵を中止させたり、他のウミガメの上陸を阻害したりする。質問することは、そのことを感じているからこそ、許可を求めるために質問するのであろう。僕らのいない場所では、ピカッ、ピカッとフラッシュがたかれている。今回感じたのは、きっと観光客の人は、自分だけ感動できる自然を大切にしたいのだろうということだった。あくまでも自然は対象物でしかないのかもしれない。 (「暑さ」了)