深淵の果ては?~リビング・タグ(生きている標識)(No.22)

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今、小笠原に来ています。すでに滞在1ヶ月を過ぎました。昨年から、ELNAで管理運営をすることになった小笠原海洋センターの組織強化と、30年にもわたり蓄積された小笠原のアオウミガメのデータを埋もれさせないために来ています。

2年前、あるアメリカ人のウミガメ研究者が論文を僕に送ってくれました。リビング・タグの論文です。リビング・タグは、1982年にマレーシアで開発されたウミガメ用の標識方法のひとつですが、普通の標識とは意味合いが大きく異なります。標識には、プラスチックや合金でできていて番号の書いてあるもの、体内に埋め込んで番号コードを読めるようになっているもの、個体の特徴を写真で撮影して個体識別するものなど、ウミガメだけでも様々な標識が使われています。現在ハワイで実施されている写真撮影の個体識別は、頭部鱗板の変異を利用しています。歴史的には、皮膚を液体窒素で冷凍やけどを起こさせ印にしたり、ラミネートされた記録紙を甲羅に固定させたり、チューブや水密の容器を使用したりしたものもあります。小笠原でも明治・大正時代に標識放流をしていましたが、それは木切れに墨で書いたものを、甲羅のふちに穴を開け紐で固定させたものです。当然のことながら、これらの標識は個体を識別するためのものです。

リビング・タグは個体識別ではなく、年代識別です。これと似たものに欠刻標識というものがありました。後肢や甲羅の一部の部位を決めて切り取り、年代識別や産地識別を調査しようとした試みです。しかし、サメなどに身体の一部を捕食されても同様な跡が残るため、それが欠刻した跡だという確証が得られず、この標識方法は現在では行われていません。

リビング・タグとは、ふ化後に背甲と腹甲の鱗板を4mm角くらいに切り取り、入れ替えたものです。背甲には白く、腹甲には黒く斑点が残り、成長と共にそれが大きくなっていきます。同じ年のものは同じ場所の鱗板を入れ替えます。背甲は真ん中に5枚、その左右に4枚あります。つまり順番を順次変えれば、背甲だけで13年間継続してリビング・タグの標識放流ができます。

この標識方法は、イギリス領グランド・ケイマン島、メキシコ、コロンビアの3ヶ所で、20年ほど前から実施されています。全てカリブ海に生息するウミガメで行われています。しかし、ふ化後すぐリビング・タグを稚亀に施し放流したものが多く、この標識の甲羅への定着などの情報がなく、その有効性は不明となっています。しかしながら、上記の国々で、背甲や腹甲に明らかに人為的な斑点のあるカメが産卵上陸した例が数例報告されています。

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2005年に28頭の稚亀にリビング・タグの装着試験を行いました。鱗板を切り取る場所、鱗板の切り取り方、接着剤の種類、入れ替えのタイミングなど、様々な試みがなされました。しかし、継続試験で4頭、放流個体で6頭の個体に斑点が残っただけでした。他のカメは入れ替えた鱗板が剥がれ落ち、斑点は残りませんでした。僕が予期したとおり、リビング・タグの定着率は非常に悪いものでした。今年度は、前年度の経験を元に試行錯誤を繰り返し、何とか270頭のヘッドスターティング(短期育成)個体全てにリビング・タグを装着することができ、現在小笠原海洋センターの水槽で順調に育っています。

リビング・タグは一度定着すると、その個体が生存している限り永久に残るといわれています。2005年の4頭の飼育経過は非常に順調です。斑点が消失する様子もなく、逆に成長と共に大きくなっています。これは、リビング・タグがELNA(小笠原海洋センター)の重要なプロジェクトの一つになったということを意味します。

リビング・タグを実施するに当たり、非常な覚悟を要しました。無理やり足を一歩進めた感じです。僕自身は研究者でもないし、学問的にカメを追及するつもりもありません。しかし、リビング・タグを実施することは、その分野に足を突っ込まざるを得ない事柄なのです。それほど、この標識方法は将来的に様々な重要な要素を含んでいるということなのです。それは、僕にとってあまり良い環境とは言えません。まさにウミガメ研究者とウミガメ屋の間で立ち往生している姿です。しかし、リビング・タグが装着されたカメを見ていると、一つの結果として白い斑紋を背負った子ガメが目の前を泳いでいて、もう後戻りができない自分が見えています。ウミガメ世界の深淵を覗き込んでいるような感じです。これは、ウミガメ世界が学問だけのものではなく、政治的なことや、様々な団体や人との駆け引き、人と人との葛藤の仲に自分自身を置くことを意識するということにつながります。

一つの例として具体的にいうと、小笠原海洋センターで本格的に実施しようとしているリビング・タグの話が伝わることにより、その派手さのみで同じ事をやる人々が出てきます。これは混乱を招きます。子ガメの生残率、成長、成熟年数、外部標識の脱落率、ヘッドスターティングの有効性、寿命などデータの信憑性を全て失うことにもなりかねません。また、信憑性のあるデータを何年も掛けて収集できれば、それをウミガメ学のために貢献する義務も生じてきます。つまり、これまではインドネシアでも小笠原でもそうでしたが、僕らが行っているデータ収集の目的は、ELNAが行っているウミガメ保護管理事業のためにデータ解析し、その事業をより発展させるためでした。しかし、リビング・タグの実施はこれまでのプロジェクトと意味合いが違います。ウミガメ世界の深淵に立つ覚悟が必要なのです。 (「深淵の果ては?~リビング・タグ(生きている標識)」了)

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