インドネシア西パプア州地震によせて(特別編)

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2009年1月4日、日曜日、明日からは仕事始めという日にELNAの田中から電話が入った。マノクワリで地震があったという。日本でも津波が観測されているという。連絡を受け、事務所に来た。被害状況はわからない。僕が最初に思ったのは、津波による現地の村々への被害である。昨年12月にも津波の爪痕を見てきたばかりで、監視小屋の奥まで波が入り込み、小屋に上る階段には枯れ葉が巻き付いていた。オサガメ産卵巣保護のために、ブタの海岸への侵入を阻止する電気柵も一部埋没したり、断線したりしていた。次回来るときはまた修繕をしなくては、という思いで戻ってきたことを思い出す。

インドネシアに連絡しても、マノクワリの地震の状況はよく分からないという。小笠原では津波が観察されたが、被害はなかった。グーグル・アースで見ると、震源地は僕たちが保護活動を行っているウェルモン地区のワウ村から10kmほどのところで4日午前4時43分54秒にマグニチュード7.6、マノクワリ地区のムブラニ村・アトリ村から3km、バウェイ村から7km、ウェスネブリ村から8km、サライ村から13kmのところで同日午前7時33分42秒にマグニチュード7.4、その日の夕方までに9回マグニチュード5クラスが群発している。これらの村々には僕らと一緒にオサガメを保護している監視員たちがいる。日本でも午前中に小笠原諸島父島で40cmの津波が観察された。6日の夕方までにマグニチュード5クラス以上のものが31回発生している。

4日のニュースによると、マノクワリではホテルが倒壊し4名(一部の新聞では5名)の方が亡くなったという。マノクワリは西パプア州の州都で、パプアの中でも3番目に大きな町である。人口は市内に5万4千人、マノクワリ県に16万7千人である。その日の夕方、マノクワリの警察に問い合わせをして、2mの津波が観察されたと聞いた。僕らが関わっている現場に被害が出ているのは間違いないだろう。翌日には、マノクワリで家が倒壊し1万2千人以上の人が難民となっており、この地震の死者は4名から1名に修正された(時事通信5日13時5分)。6日はこの地震に関するニュースがなかったので、日本ではこれで終わりになるのだろう。

6日の午前中にインドネシアから連絡が入った。ワウ村で3名、近くのワイベン村(ワウ村の南東10kmほどのところ)で1名が亡くなった。亡くなったのは津波ではなく、夜明け前に襲来した地震によって、家が倒壊したためだ。ワウ村で亡くなった方のうち1名は、ウェルモン海岸で監視員をしているユヌスさんの奥さんであった。息子のヨセフも監視員である。僕らが行った時に、いつも食事を作ってくれていた人だ。まだ2才の子供もいる。これを聞いても今の僕には何もできない。気持ちが苛立つだけである。どうしようもないジレンマに陥る。さらに不幸なことに、このワウ村から30km西北にあるワルマメディ村、そこから20km西にあるソーベバ村、これらの村にはジャムルスバメディ地区の監視員たちがいる。これら両村とマノクワリ地区に関する情報は全く入ってこない。

すぐにでも飛んでいきたいが、余震は続いている。また、今の時点で僕が行っても何もできない。今できることは他の村に被害が出ていないことを祈ることだけだ。早く余震が来なくなることを待つことだけだ。明日からは、みんなが無事であることの情報を得る努力をしなくてはならない。(了)

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