直感を信じる

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5月26日から6月27日までの33日間、インドネシアに行ってきた。パプアのオサガメとジャワ海のタイマイでほぼ2週間ずつの調査を行った。前半のオサガメは横浜職員が同行したが、後半のタイマイは、僕とインドネシアのスタッフの2名だった。前半から僕の頭の中はもやもやしていた。これまでにない暑さが、そのもやもやに拍車をかける。川にブタの侵入を防ぐための電気柵を汗だくで設置し、全長20kmにわたる産卵状況調査は、サンダルに靴下を履いていても、1秒以上その場にとどまっていると、砂の熱さで足の裏は焼かれる。海岸の後背地に設置してある電気柵の修理では、体中にアリの攻撃を受ける。Tシャツの背中や脇の下、ズボンの裾から股の間にまで入ってきて咬みつかれるのである。咬みつかれた後はやたら痛痒い。タイマイでは、無人島にたった二人だけで750巣ものふ化率調査を行った。一周歩いて20分ほどの丸い島なので、太陽の位置をみながら、午前・午後と掘る場所を変えていく。それでも太陽光は容赦ない。今回、20年ぶりくらいに腕や顔の皮がむけた。数日間このような灼熱地獄の後は、土砂降りの雨がやってくる。今度は長袖を着ても震えが来るのである。

このような状況で、暑さと寒さのパルス攻撃を受け、頭の中は空洞化してくる。オサガメの保全は僕らでできるのか、タイマイの資源管理体制は作れるのか、関東のストランディングの方向性をもてるのか、小笠原のアオはこのままでよいのか、そんなことが走馬灯のように繰り返し頭の中に映し出される。そんな中でぼんやりと浮かんできたのが、僕自身の役割とは何かということであった。突き詰めていくと、僕はカメ屋としてデータにしがみついていくしかないのである。これを、ELNAの基盤とするしかないと思った。

プスムット島というタイマイの島で、夜眠れずに海岸で一人じっと月を見ているとき、不思議な雲が月にかかっていた。きれいな卵型の網目の雲であった。そこにはくっきりと1本切れ目が入っている。それをみて卵の移植問題を思い浮かべ、ふと気づいたことがある。それまでもやもやしていたことも霧散する。いや、霧散したわけではなく、僕の中で土台となったのであろう。これまでの経験やものの見方、これらが収斂したように、いきなり僕の頭の中にある感覚的な概念が飛び込んできた。まさに直観というのだろうか。僕はこのためにカメをやってきたのかもしれない。これが僕の生きてきた証なのかもしれない。そんな高揚とした感情の高まりと脳細胞がフル回転している冷静な気持ちが交錯する。今はそれに向かって、ただ前に踏み出すだけである。その直感については、まだ人には言えない。

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