タイマイについて思うこと(No.12)

べっ甲という言葉が僕の頭の中から消えて久しい。日本はよその国からほしいだけ輸入して後は知らん顔、だから僕はインドネシアでタイマイの調査と資源回復のための活動をしているのだという構図がどうしても頭から離れなかった。これまでは資源回復してそれが経済につながっていけばそれでもかまわないと漠然と考えていた。でも今はそんなことも考えていない。

僕は自然保護という言葉をあまり使わない。日本で自然保護という言葉を使うとそれはボランティアというニュアンスが強い。かつて僕が若かった頃、自然保護はイコール反体制であった。地球温暖化が野生動物に及ぼす影響や事実に反しているが動物が人工物を摂取して死亡していることなどいろいろな環境問題が一般的に広まり世の中が少しずつ変わってきた。また絶滅危惧種などという言葉が専門家の間だけでなく一般的に使われだしたりもした。そんな中、以前から僕はウミガメに関して資源保全とか資源管理とかという言葉を好んで使っていた。しかし、あまりいい印象は持たれていなかった。どうもこういう言葉は美しくないらしい。

ある生き物を管理すると言うことは、多分今ではそれを自然保護という意味も含まれるらしいのだが、決してボランティアではできない。現場を知らなければならないし、論文だって読まなければならない。それは片手間でできることではないのである。最も重要なことは資源を管理するのにはお金がかかると言うことだ。また一部地域(特に日本の市町村単位で行われているウミガメ保護活動)だけを管理してもそれはその種を保全することにはならないが、今の日本のマスコミは一つの現象だけを捉えて美しい自然保護という美辞麗句で飾り立てている。日本のウミガメ全体を捉えて議論されることはほとんどない。ウミガメに関して言えばそれが資源の回復や増加につながることはほとんどない。それは研究者についてもいえる。ウミガメの生態の一部を解明しても、それを結びつけて資源管理できる人がほとんどいない。ほとんどの研究者は論文を書けばそれで終わってしまう。中には論文さえも書かない研究者も存在するのである。

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今の僕の頭の中では、インドネシアの現場、護岸や堤防など全くない海岸での産卵、稚ガメがふ化し海に入ること、成熟して再生産に参加することなどの情景が複雑怪奇に絡まり、ウミガメが種として存続し続けるために僕らは何ができるのか、何をすればよいのか、答えのない問いかけが駆けめぐっている。その答えを導き出すには行政や政治、経済の問題が深く関連してくる。地域経済を変えてしまう資源管理システム、公海上の流し網が禁止されたように漁業の混獲による資源へのダメージとその反動による漁業の衰退、相手政府の担当官の思惑や利権、資金不足による活動の不活性化などウミガメの生態とは全く関係のないことがインドネシアのウミガメ資源を保全するための重要な要素となっている。そして現状は日本へべっ甲を輸出するゆとりなどない資源量しかなく、資源が回復する見込みさえたたないのである。オサガメにしても同様で資源量が衰退していくのをいかに阻止するか、それだけするのがやっとでそれ以上手が回らない。現実的には僕がやっていることはきっと絶滅の速度を多少遅らせているだけなのだろう。その現実が重く僕にのしかかっている。

自分自身が手がけているウミガメに関してそれはやるせないことであり、どうしようもないジレンマとの戦いなのである。流通経済に乗せるために何千もの産卵巣から未だに卵が掘り出されている。それも地方行政が入札制度を導入して率先してやっているのである。僕にはそれを阻止する能力も資金力もない。ほんの数百の産卵巣を確保することしかできないのである。繁殖地においては稚ガメの生産力を上げない限り資源の減少をくい止めることはできない。少なくとも僕が推定しているインドネシア全体のタイマイの産卵巣5000-6000巣の半数を確保しない限り、インドネシアのタイマイ資源が増加することは望めないだろう。それでも、時間はかかるかもしれないが少しずつでも産卵巣を確保していくしか道は残されていないと思っている。僕がやっていることがプラスになっているのかどうか、それは僕自身疑問に思っている。ただ、僕と一緒に必死になってやってくれる仲間がいるから、それはそれでプラスになっていると信じることにしている。 (「タイマイについて思うこと」了)