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ウミガメとの出会い、そして・・・(No.4)

初めて僕がウミガメを意識して見たのは、小笠原諸島の南島です。やはりジョンソンと一緒でした。右の後ろ足が折れていたのが印象的です。1977年の夏でした。南島は扇池という小さな入り江が真っ白な砂浜に抱かれるように透き通った水をたたえています。その入り江は幅5mほどの穴で外海と繋がっています。外からは砂浜は全く見えません。ウミガメはその穴から南島の中に入ってきます。この砂浜はちょうど野球場を小さくしたような形をしています。僕は一塁側の観客席から、ちょうどホームの位置にある扇池をじっと見つめていました。月夜で人は誰もおらず、扇池の底がほのかに明るく見えます。すると、穴の方から砂浜に向かって黒っぽい丸いものがすっーと動いています。やがて、ウミガメは上陸してきました。あわてて、僕はボートで待っていたジョンソンを呼びに行ったのですが、それが僕と小笠原のアオウミガメとの出会いでした。

同じ様な出会いを、マレーシアのボルネオ島の小さな島でしたことがあります。一周僅か15分の島です。夕方島に着いて、ウミガメを監視している国立公園のレンジャーと二人で砂浜に座り、数時間ほど語り合っていました。もちろんあちらはマレー語、こちらは日本語です。不思議な世界でした。人と人は言葉が違っても通じ合うものだということを実感した瞬間でした。夜9時、それまで静かだった島がざわめき始めます。海岸は200mほどしかありません。一斉にアオウミガメが15頭も上陸を始めたのです。その時の第一印象が、小笠原のアオウミガメを見慣れているせいか、「おっ、これは外人のカメだ!」でした。どこか顔つきが違うのです。これも僕にとっては新鮮な出会いでした。不思議なことに、朝起きてウミガメの野帳を見てみると上陸したウミガメは8頭になっていたのです???1980年のことでした。

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次の出会いは、今保護を行っているセガマ島でのタイマイでした。べっ甲の材料としての意識が強かったせいか、すごく哀れな気がしたものです。「こいつらは、かなり寂しく生きている・・・」インドネシアでの最初の頃の調査でした。助手の新谷君と二人だけの調査です。何故かアキルさん(現インドネシアウミガメ研究センター代表)が通訳としていました。かつては、この島にも数百頭ものタイマイがいたはずです。そう思うと哀れみから、怒りに変わっていきます。べっ甲屋さんを責めているわけではありません。日本がよその国の生物を勝手に食い散らかしたことに対する怒りです。日本の体制というか、日本という国の性格に対する怒りです。また、これまでずさんな調査をしてきた人々に対する怒りです。多分その時の怒りが、今でも僕をインドネシアに通わせているのでしょう。きっとその時、僕はインドネシアと長いつき合いになることを予感していたのかも知れません。1996年のことでした。

オサガメとの出会いは、実に美しいものでした。ドワッとした暑苦しい重苦しい空気が断続的に存在する海岸を、汗を流しながら歩いていました。真っ黒い岩のような物体が動いています。それは想像を絶するものでした。今一緒に仕事をしている田中と例によってアキルさん、カロン族の監視員の人たち、みんな真っ黒で目玉だけが存在しているようです。「わおっ、オサガメだぁ~~。」田中もアキルさんも「きれいだ・・・美しい・・・」、本当にきれいなウミガメです。思わず頬ずりをしたくなるようなカメです。しかし、なんとも顔が醜いのです。どうも天は二物を与えないようです。しかし、今ではその顔も天使のように感じていますけど。2000年のことでした。

ウミガメとの出会いから、いつも僕の人生が決まっていきます。小笠原に住み、インドネシアに通い、インドネシアが仕事場になり、気が付くとウミガメだけで生活をしてきている。そして、ウミガメとの出会いの時は、必ずいつも人との出会いがある。(「ウミガメとの出会い、そして・・・」了)