新規開拓 -オサガメは救えるか-(No.11)

2004年12月にインドネシアのパプア州に行った。これまでのジャムルスバ・メディ地域が目的ではない。太平洋最大のオサガメの繁殖地であるパプア…

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ウミガメの将来 -理想と現実(No.10)

今年の5月にハワイでタイマイとオサガメのワークショップがあった。Western Pacific Regional Fishery Manag…

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若い人たち(No.8)

今、インドネシアウミガメ研究センターには、アキルさん(38)の配下として4人の若者たちがいます。1997年の設立当初からいるのは、ソフィアン…

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怒り(No.9)

2004年2月末、僕はコスタリカにいました。国際ウミガメシンポジウム、僕はそれに参加していたのです。その時ほど、自分がカメ屋だということを意…

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死体(No.7)

この3年あまり、僕は死体と関わっている。もちろんウミガメの死体だ。皆は漂着(ストランディング)と言っている。漂着死体の話題はこれまでにもちょ…

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タイマイ(No.6)

タイマイという「言葉」には、奇妙な響きを感じる。僕の人生はタイマイとアオウミガメという二つの言葉を引きずっている。最近は、オサガメなどという…

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インドネシアの人々(No.5)

インドネシアの人々に、僕はいつも教えられている。物の考え方や行動が僕とは全く違う。まあ、僕も典型的な日本人でないことは自覚しているけど、どう…

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ウミガメとの出会い、そして・・・(No.4)

初めて僕がウミガメを意識して見たのは、小笠原諸島の南島です。やはりジョンソンと一緒でした。右の後ろ足が折れていたのが印象的です。1977年の…

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出帆(No.3)

エバーラスティング・ネイチャーが設立して、もうすぐ1年になろうとしています。僕が小笠原でカメと出会って27年、日本ウミガメ協議会会長の亀崎さ…

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再び、出会いと始まり(No.2)

今回は、小笠原ではなくインドネシアです。時は1980年、当時の日本タイマイ協会から依頼され、「マレーシア・シンガポール・インドネシアにおける…

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